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HUTCHISONのはじまり

不思議な物体「ゴム」に魅了された人たち

発明家

アマゾン流域原産のゴムの木は古くから利用され、6世紀のアステカ文明や11 世紀の南米マヤ文明にその痕跡がある。ヨーロッパ人がゴムと接したのはコロンブスが1493年の第2回目の航海の時、ジャマイカで原住民がボール遊びしていたのを見た時とされている。しかし、その不思議な物体ゴムを利用したのはその300年ほど後のことで、鉛筆の文字を消す、消しゴムとしてだった。
アメリカ・コネチカット州の金物商チャールズ・グッドイヤーは周りから変人扱いされるほどゴムの魅力にとりつかれた男だった。『街でグッドイヤーに 会いたかったら、帽子、上着、ズボン、靴、財布と、頭のてっぺんからつま先まですべてゴム製品で身をかため、そのうえ財布の中身はからっぽの男を見つければいい。そいつがグッドイヤーだ』という逸話が残ってる。
奇跡的な発見は1839年の冬に起こった。グッドイヤーは実験でゴムに硫黄を混ぜ、それを誤ってストーブに触れさせた。ストーブに触れたゴムは糖蜜のように溶ける代わりに、革のように焼け焦げた。その周りに乾燥して弾力のある褐色の物体が残った。気温が高ければベトベト、低ければもろい性質をもつ天然ゴムを、気温に関係なく強くて柔軟性のある物質に変えた。耐熱性のあるゴムの製造に成功したのだ。これが加硫ゴムの発明である。

チャールズ・グッドイヤー

起業家

1808年イギリス生まれのアメリカ人ヒラム・ハッチンソンはグッドイヤーからゴムの加硫処理に関する特許を買い、1853年、フランス・パリの南方100キロにあるモンタルジーで事業を起こした。ハッチンソン社の始まりである。当時のフランスでは、農民のほとんどが木の靴で作業をしていて、一日の労働の終わりには足が泥だらけになっていた。加硫処理を施して弾力のあるゴムを使ったブーツを作れば、仕事中の足が保護されるし汚れない。
1887年にダンロップが空気入りタイヤを発明し、1890年にはハッチンソンが自転車用タイヤの生産を始め、それ以降の活躍は自転車レース史に残るところである。

ヒラム・ハッチソン

誘拐犯

19世紀なかば、ゴムはブラジルが独占していて、国外に持ち出すことはもちろん禁じられていた。同時にゴムの木は移植がとても難しい。
そしてイギリスで、アマゾン流域にしかなかった原料ゴムを移植する、つまり盗み出す計画が持ち上がった。それまでイギリスは東南アジアの植民地で綿・コーヒー・茶・香料で成功を修めていた。ゴムが今後莫大な利益を生み出すと見込み、インド省は研究を始めていた。
イギリスのヘンリー・ウイッカムという探検家が顔見知りのインディオ達を使ってゴムの木の種を集めさせた。ウイッカムはブラジルの税関長をたずね、これはイギリス女王に献上する貴重な植物だから種子の入っている籠を開けずに通してほしいと願い出た。そして1876年、見事にイギリスへの「誘拐」に成功したのだ。7万個の種子を蒸気船でイギリス本国へ運び、イギリス側の港町リバプールでは特別列車が待っている。ロンドンに突っ走ってキュー植物園の温室に運び込まれた。数週間後、2397個の種子が発芽した。2か月後、1919本の苗木がセイロンに、20本がシンガポールに向かった。植え替えは成功した。30年後には東南アジアがブラジルを抜いて天然ゴムの産地として君臨することとなった。
いま東南アジアのゴム園で栽培されているゴムの木はウイッカムが運んだ種子の子孫である。

ヘンリー・ウィッカム

現在のゴム関連産業の隆盛ぶりはこれらの人たち抜きには語れない。発明家グッドイヤーは莫大な借金を残して亡くなった。起業家ハッチンソンは、ゴムの加硫処理で様々なビジネスが広がると考え、成功を収めた。その後同社は、ブーツだけでなく、タイヤやシーラントの分野で大きく成長し、現在は3万人近くの従業員を抱えている。石油メジャー・トータルグループの一員として、エラストマー分野で第一人者としての地位を獲得している。ヘンリー・ウィッカムは1912年、ゴム移植の功績によりイギリス国王からサーの称号を受けた。

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